毎日同じリズムで生活していると

よく同じ時間に同じ場所ですれ違う人の顔を覚えてしまったりしますよね。

かくいう私も3月くらいまでは毎朝、駅でお父さんに見送られて通学している小学生の姉妹をよく見かけていました。
たぶん妹さんのほうなのでしょう。改札を抜けると毎回お父さんのほうへ振り向いて「いってきます」みたいに小さく手を振っていたのが微笑ましく印象深かったのです。
そのお父さんはカジュアルな服装でしかも手ぶらだったので、たぶん何かのついでではなく本当に見送りにだけ来ていたんだと思います。本当に毎日一緒に来ていました。

そして4ヶ月ほど間を空けて久しぶりに同じ時間に同じ駅から通勤していると、ずいぶん背が伸びたように見えるその姉妹はまだ同じように歩いていました。でもそこにお父さんの姿がないんです。

何かあったのか、たまたまなのか。ただの想像ですが娘さん方が自立したということなのか、はたまたお父さんが見送りをやめてしまったのか。あるいはその両方か。

表現しにくいんですけれども、何れにしてもなんか同種の寂しさを感じます。人と人とが離れていく感じというか、もうこの先は一緒に見ることもないのかなみたいな喪失感。それは離れる理由が前向きなものにしろ後ろ向きなものにしろあるものだよなあと。

互いに一緒にいることが減って、そのうち話すことも少なくなって。そうなるとどうしても心と進む道が平行線になって行きがちです。
私自身もそうなることはあって、いろんな人と出会ってそして自分からあるいは向こうから離れていったわけですが、「
それは仕方のないことだ」という気持ちと「それは惜しいことだ」という気持ちがいつもせめぎ合っています。

とはいえ私はいわゆる友達100人タイプではなく狭い付き合いの中でしかも疎にといった派閥にいるのでちょうどこのくらいが良いのかなあとも思いつつ。でもいざ事に触れてしまうともうちょっと手広くやっても良いのかななんて考えちゃいますね。

また父娘揃った姿が見られると良いです。そんなことを感じた今日でした。

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